こんばんは!マグロです。
本日は、村上春樹さんのエッセイである
走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
を読んでマグロの感じたことを作中の文章を引用しながら綴っていこうと思います。
引用と感想
サマセット・モームは「どんな髭剃りにも哲学がある」と書いている。どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの観照のようなものが生まれるということなのだろう。
思えば私は、
取り組んでいることにある程度慣れたら、
もしくは飽きたら次へとっかえひっかえ
移り変えてきた人生でした。
気づくと私は何者にもなれなかったように思えます。
今の自分に誇れるものが何か
正直うまく説明することができないのもそうした理由があるからなのかもしれません。
移り変える人生を聞こえよくフレーミングすると、
好奇心旺盛でフットワークが軽いと言いかえることができますが
今の世間から見ると、
どれも中途半端で長続きしない奴と認識することでしょう。
私は大学3年生まで、色々なことに挑戦することは良いことだと信じて行動してきた節があります。
(学生時代などの経験は、また機会がある時に別の記事で紹介していきます)
そうした意識高い系?行動が良かったのかと思うと決してそんなことはなかったように思えます。
コツコツと続けてきた人には、
能力が備わっていなかったとしても、魅力的な人が多いとマグロは感じます。
語れるものを備え、
自分なりの人生の哲学を持ち合わせているように思える。
イチロー選手のルーティンワークに以下のようなものがある。
*以前、毎朝カレーを食べていた(現在は辞めたという話を聞くが・・・)
これも一種のイチローなりの哲学だと思います。
この本の作者である村上春樹さんも、走ることを続けていくうちに何か哲学的なものを体得していったのだと感じます。
そして、
その哲学が詰まったものが今回紹介する本に詰め込まれています。
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。
これはマラソンに限らず、人生全般に共通することであるのではないでしょうか。
人によってどう感じるかは、個人差があるのと同じです。
ここで例え話を一つ。
私は学生の頃、
カンボジアに1週間程滞在したことがあります。
2月末に滞在しましたが、
カンボジアはその時期の日本と比較にならないほど、高温多湿な気候で身体中の汗がずっと止まりませんでした。
私は日中に外に出ているだけで不快に感じることもありましたが、
現地のカンボジア人は顔色一つ変えずに過ごしているのです。
苦しみは、オプショナル。
環境が同じであれ
個人がどう感じるかによって、
答えは異なるのです。
とてもいい言葉に思えるようですが、この言葉を
*我慢して頑張れ*
という意味合いだけで捉えると少々危険です。
例えば、
精神面での不調を訴える人が存在したとします。
そういった人に対して、
「考えすぎじゃないか」
などという言葉で、解決しようとする人が存在すしたらどうでしょう。
苦しみはオプショナルなのだ。
苦しみ方には個人差がある。
「君より仕事量は多いけど、私は頑張っているよ。君の仕事量で、辛いなんて甘えじゃないかな」
などと自分自身の価値観で、
他人の苦しみをはかるなんてことは、絶対にしてはならないと私は感じます。
自分自身の価値観や感じ方は押しつけるものではないという事です。
苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端を、僕らはその過程に見いだすことができるのだ。
「長距離走を、なぜやるの?」
これは、私が学生時代に長距離走を行っていた時に実際に友人に聞かれたことです。
聞いてくるのは1人どころではなく私の自己紹介をする時に、
必ずといってもいいほど突っ込まれる質問なのです。
「走るの楽しいんですか?」
こういった質問に対して私は、いつも答えるのに困ってしまいます。
しかしこの答え方を村上春樹さんは、
上記の文章で解決してくれました。
私も、あえて走ることを求めることで、生きていることを実感するのだと。

その他私が心打たれた文章の引用
継続すること──リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。
走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること
村上春樹さんの
比喩表現に感動
それでも脱水はまるで不吉な宿命のように、暗い心を抱えた夜の女王のように、僕のあとを追いかけてきた。
筋肉は食べ残した一週間前の給食のパンみたいに硬くこわばっていた。
上記の文章だけ取り上げましたが、
村上春樹さんの文章には
素人では思いつかないような
比喩表現が随所に使われています。
どれもわざとらしくなく、
的確で読み手が想像しやすい表現です。
プロの文章には、
内容も勿論ですが、
こうした技術が含まれていて読んでいて勉強になります。
村上春樹さんの書籍で
お勧めがあれば、
是非教えて頂きたいです。
それでは今日はこの辺で!